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考古学から国際協力へ――日本とスーダンを繋ぐ架け橋 /関広尚世氏(京都市埋蔵文化財研究所)

古代スーダン鉄器の専門家で、研究と並行してスーダン国立博物館展招致活動も行なってきた関広尚世様(京都市埋蔵文化財研究所)に書面インタビューさせていただきました。考古学者として、研究者として、「社会貢献」についてもお考えを伺うことができました。

関広尚世氏のプロフィール:京都市埋蔵文化財研究所(調査研究技師)。広島大学大学院文学研究科博士後期課程(単位取得退学)。専門分野は考古学、特に古代エジプトおよび古代スーダン。研究外ではスーダン国立博物館展の招致活動にも尽力。

考古学の世界での活躍について

ご経歴について教えてください。

奈良大学大学院文学研究科博士前期課程を終了後、京都大学大学院文学研究科大学院聴講生を経て広島大学大学院文学研究科へ入学しました。京都大学大学院以降は、社会人学生でした。
奈良大学大学院の修了後は地元広島の埋蔵文化財の調査研究に従事しました。京大では聴講生として集中講義を選択していましたので、その時だけ有休を取って夜行バスで通っていました。それから一般企業の総合職としてデジタルコンテンツ作成に携わった後、独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所での特別研究員などを経て現在に至ります。関西地方で日本国内の埋蔵文化財の調査研究をやってきました。
社会人学生という選択をとったのは奨学金の返済、学費や研究費の捻出、生活費の捻出を同時に行うためです。また、日本国内で専門職に就くことで人脈や実務経験を積むということが目的でした。

これまでの研究の内容について教えてください。

最初に取り組んだテーマは「先王朝時代のエジプトで用いられていた彩文土器」です。中学生時代、三笠宮寛仁親王著「古代エジプトの神々」に影響をうけ、もともとエジプトに興味を持っていたこともあり、大学入学後はエジプトの研究と日本考古学を学ぶことを同時に行いたいと思っていました。
学部3回生のゼミ発表の時、「古代エジプト文化はどこから来ているのか」という同級生の質問から、古代エジプト文明の成立期に関心が向くようになりました。彩文土器は、異なる器形に似通ったパターンの文様が描かれ、副葬品として用いられるのが特徴です。研究を進める中で、土器を使う際には見えるはずのない底部にまで文様が描かれていることや、岩壁画にも類似したモチーフを見つけたことから、その文様を「先王朝期の世界観を示した記号」と考え、彩文土器を研究することでエジプト先王朝期の人々の認知構造を明らかにできると考えました。現在もこのテーマには興味を持っています。
広島大学での研究室には「鉄」という伝統的テーマがありますので、指導教官の強い勧めもあって、古代エジプトの鉄についてまとめました。最近、ツタンカーメンの隕鉄製鉄剣がインターネットをにぎわせましたが、私は既にその手の論文を2005年に執筆しています。従来、自分が行ってきた研究とは異なる素材からエジプトを見ることで、エジプトそのものへの見方も変わってきました。この経験は、のちのスーダン研究にも影響するようになりました。スーダン研究を本格的にはじめたのは単位取得退学後でした。
財団法人で日本の遺跡を発掘するようになると、職務としての研究も行うようになりました。畿内系土師器(はじき)、墨書土器、植物遺存体、ひさご形土製品、鉄磬など、古代寺院での調査が多かったせいか飛鳥~平安時代の遺物を中心に研究をしました。
一番新しいものでは「京都牧畜場」銘の牛乳瓶が対象となりました。これは近代考古学の分野ですが、自分が発掘調査を行っている京都が、日本における西洋式牧場発祥の地であることを知る良い機会となりました。

どういった経緯で古代スーダンの鉄器を研究することになったのでしょうか?

大学院で研究していたのはエジプト先王朝期の彩文土器です。スーダンに訪問するきっかけとなったのは、スーダン国立博物館での彩文土器の資料見学でした。当時は高松塚古墳やキトラ古墳の解体移築問題が議論されている頃で、同じ解体移築によって博物館館庭に保存されているヌビア遺跡群にも関心が及びました。
スーダンを初めて訪れたのは2007年のことです。恥ずかしい話ですが、当時、私自身はスーダンに対してあまり良い印象を思っていないまま現地へ出かけました。今以上に情報が少なかったこともあり、紛争やテロのイメージが強く、勝手に好戦的な人々だと思い込んでいました。また、長い間エジプトに関する本を読み続けていたことで、知らず知らずの間にローカルで未開という認識を自分の中で作り上げていたのです。
この誤った認識は最初の滞在で完全に覆りました。当時はもう学生ではありませんでしたから、スーダン側からしてみれば「日本から考古学者が来た」ことになるわけです。手厚い歓迎とサポートを受け、嬉々として語る彼らの顔を見ながら自分が恥ずかしくなりました。
相手国の貴重な遺産を考古局のインスペクター(査察官)や学芸員の手を煩わせて見せてもらうのにずいぶんな思い違いでした。曲がりなりにも歴史学を生業とする者にとっていかに浅はかな考えをもっていたのだと今でも反省しています。

(写真)遺跡内に散布するに土器について議論
スーダンの文化財行政や考古学研究について話すうちに、ダム建設で数多くのナイル川流域の遺跡が水没や破壊の危機にあることを知りました。そして、日本から調査隊を派遣して率いてほしいという声があったのです。
アスワンハイダム造成に伴って実施されたヌビア遺跡群救済キャンペーンでは全体の25%しか調査研究ができなかったといわれているのに、さらにダム建設を進めてしまうと、スーダンはその歴史的遺産の多くを失ってしまいます。帰国後、文化財国際協力コンソーシアムをはじめ、関連学会でも発表し、この問題について知ってもらうよう努力をしました。
また日本隊から調査隊を率いてきてほしいといわれたことについては、私の中で海外調査隊の隊長といえばずっと年長の専門家がやるイメージでしたので、とっさに「Too Young」と答えたのに対し、「Not Too Young」と返されたのを思い出します。
考古学という学問は世界共通でも、研究や調査への目的意識や環境がスーダンと日本でも大きく異なるのだなと感じた瞬間でした。念のために書き添えておきますが、これはどちらかが優れているとか劣っているとかではなく、多様性とそれにどれだけ柔軟に対応できるかが問題なのだということです。
その後、ダム建設予定地に行き、現場を見なければということで資金面や協力者を探し始めました。運よく国際交流基金からのサポートを受け、ナイル川第3急湍(カタラクト)に行くことができました。古代スーダンが盛んに製鉄を行っていたことは、エジプトの鉄研究との絡みで認識していましたが、本格的にその研究の必要性を感じたのは第3急湍のある遺跡で鉱滓(こうさい)を表採したことがきっかけです。製鉄の本拠地のデータが基準となることは言うまでもありません。メロエでは、王宮やピラミッド、太陽神殿、採石場などで考古局の協力を得て鉄滓を採取し、日本で化学分析をさせていただきました。
なぜ古代スーダンの鉄器を研究することになったのかと問われると、その起源はエジプト先王朝期の彩文土器ですとお答えすることになります。地理的にも時間的にも大きく異なる両者をつなげたのは現代に生きる人々でした。ス・日両国での様々な人との出会いの中で、作られていった研究テーマです。つい先日、そんな話をしていたら、「スーダンを研究するためにエジプトを研究したんだよ」とおっしゃってくださった方がおられました。科学的なコメントではないですが、研究にも見えざる力が働くのかもしれません。

古代スーダン研究について

歴史上における古代スーダンの位置付けについて教えてください。

この研究の位置付けについて、主観的なコメントになることをあらかじめ断っておきます。古代スーダン研究が独立したものとして開花したのは、やはり1960年代のアスワンダム造成に係る緊急調査(ヌビア遺跡群救済キャンペーン)以降といえます。
エジプトに関連する時代や地域、あるいはメロエのピラミッドのように上部構造が特徴的なものは早い段階で研究対象となりやすく、またそうであったわけです。実はメロエの北ピラミッド群から出土したアマニシャケト女王の金製副葬品などは、すでに展覧会の一部として日本に来たことがあるのですが、あくまでも「エジプト文明の一部」として紹介されています。

(写真)メロエのピラミッド
現在でもヌビアの歴史文化をエジプトの一部として考えていたり、あるいは現在のスーダン・エジプトの国境から南の歴史文化が黙殺されたりする傾向にあります。例えば、ヌビア遺跡群救済キャンペーンの例としてエジプトのアブ・シンベル神殿が紹介されますが、同じキャンペーン時にスーダン・エジプト国境から首都ハルツームに移築された神殿群については、日本ではほとんど注目されていません。
では、古代スーダンはその状況を甘んじて受けねばならないほど、浅い歴史文化しかないのか?ということになりますが答えは当然、NOです。
旧石器時代に始まり、イスラム期に至るまで、エジプト王朝の影響を受けた時期があったにせよ、スーダンは独自の歴史を歩んできました。エジプトの影響を強く受けた時代でさえ、古代スーダンに固有の習慣や文化とエジプト文化を融合させていました。それは、ギリシャ・ローマとの関係も同じであり、強い影響を受けながら、完全に飲み込まれてしまうことのないスタンスを取り続けたのです。
また、近年ではアフリカ西部やサウジアラビア半島、さらにはインド方面からの影響を考慮する研究もあります。まさに文明の邂逅、思いがけぬ出会いです。日本の研究者の中にはエジプトの関係ばかりをクローズアップする人が多く、スーダンを「田舎」だと思っている人もおられるようですが、こういった認識はスーダン考古学やキリスト教期以降を取り扱うヌビア学の進歩によって今後、徐々に改められていくでしょう。

古代スーダンの鉄器は特にどのようなところが魅力的ですか?

まだ、メロエには分かっていないことがたくさんあります。いつ頃、どんな人たちが、どんなふうに暮らし、そしてメロエを去っていったか?鉄器自体は銹化しやすく残存しにくい遺物の一つですが、古代スーダン人が多用した金属の一つである鉄に着目することで、古代復元がより現実的なものになるのではないかと考えています。また、鉄器は古代エジプト人があまり用いることのなかった金属でもあります。これまでの学史や上述の研究背景を考慮すると「鉄」というテーマは、スーダンとエジプトを対等に検討するための側面になりうると考えています。

スーダン国立博物館展招致活動について

国際協力に興味関心を持っている大学院生や人々に伝えたいことを教えてください。

自分の研究とは別に、スーダン国立博物館展の招致活動を行ってきました。スーダン政府・スーダン考古局・スーダン国立博物館・スーダン日本友好協会の方々の並々ならぬ努力のおかげで、一部の日本の博物館にも展覧会開催の見込みがあると認めていただけるようになりました。本当にありがたいことだと思います。
その一方で、ここに来るまで様々な苦労もありました。スーダンの歴史文化を広めることが目的の展覧会なのですが、まずはスーダンの歴史文化、スーダンの国民性などを関係者に広く知ってもらわないといけないという矛盾もありました。スーダンへの誤った認識や偏見にもう一度と直面することになったのです。
この活動は「国際協力」という視点も関わってくるので、最近は「学問の社会性」についてよく考えます。スーダンを訪れるまで「考古学や歴史学が社会に貢献しうるのか」という問いに対して、私は明確な答えを持っていませんでした。しかし、スーダン人専門家や一般の方々と触れ合ううちにスーダンの歴史や文化を広く知ってもらうことが、スーダン人への偏見や誤解をなくし、また、研究面においては古代の北東アフリカにおける歴史観のゆがみをなくしていくことができるのではないかと思うようになりました。これが一つの社会貢献だと思っています。
もちろん研究者として研究論文を多く発表することや、学位を持つことも大切なことだと思います。しかし、そのこと自体はあくまで手段でしかないのではないかと思います。調査研究の成果を生かし、スーダンの場合ならばスーダンの歴史や文化を広く知ってもらう活動にも従事することが社会性の実現ではないかと最近は思うようになりました。これも国際協力の一つだと思っています。

(写真)スーダン観光局大臣(左)とスーダン考古局長(右)との記念写真(2012年当時)
スーダン研究や国立博物館招致活動を行う中で、日本国内の専門家とも協働を試みてきました。その中で感じたことは、国際協力には、相手国の意図や都合を組む想像力と共感力が最も重要であるという点です。国際協力というのは、単に外国人と何かを一緒にするということではありません。また、日本国内のステイタス(どの大学に所属しているのか、教授なのか准教授なのか等)もこの場合、ほとんど関係ないと思っています。そしてトラブルが起きた時に相手国のせいだけにして、日本側の過失を検証しようとしないという姿勢は問題外だということです。
海外考古学を目指し始めたころ、「日本の現場も回せない人間が海外考古学なんかできるか」と先輩方に叱られたことがありました。また、考古学の分野ではありませんが海外で長く活躍してこられた方から「海外に出たら自分は(考古学分野の)外交官くらいのつもりで真摯に取り組みなさい」というアドバイスをいただいたことがあります。
これらの言葉を当時はぼんやり受け止めていましたが、スーダンと関わるようになり、そして国立博物館招致活動を行う中で先輩方のアドバイスがいかに貴重なものだったかが改めてわかってきました。

今後に向けた抱負を教えてください。

やればやるほど自らの未熟さを思い知る今日この頃ですが、調査研究の充実、そしてそれと同時に想像力や共感力を養って、変化を恐れずにこれからも頑張っていきたいと思っています。

ありがとうございました。


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